しんかさんのたんぶらー

宮崎駿監督はこのように言っています。「女性の場合は、そこにいるだけでキャラクターとして成り立つんですが、男性のキャラクターを成立させるのには社会的な立場や地位、もしくは何らかの宿命を背負っているといった、目に見えない何かが必要なんです」と。



土肥:男にとっては、重い言葉ですね……。

私ががセガにいた頃(1998年くらいかな)、当時の開発本部長の鈴木さんから、連絡を受けました。


“マイケルジャクソンがセガに対して怒っているようなので、事情を聞いてきてくれないか”


高校時代から、マイケルの大ファンで少しミーハーな自分は二つ返事で会いに行くことを約束しました。ニューヨークのあるホテルで会うことになり、少しどきどきしながらマイケルが泊まっているフロアに着くと、どうやらそのフロアにはマイケルしか泊まっていないようで、ホテルのスタッフではない、いかにもガードマンらしき人がフロアに立っていました。アポイントの件を話し、部屋まで通されると、いよいよマイケル登場。こちらは、うれしさも手伝ってにこやかに握手をしたものの、次の瞬間からマイケルは怒り出しました。

“セガはマイケルを使っていろんなゲームを作ると約束したのに、全然作らないのはどういうことなのか”


・・・・・“はめられた”と、思いました。

後から話を聞いたところ、どうやらセガが昔、マイケルとアーケードゲームを作った際に、色んなゲームの企画を約束していたようです。が、その後マイケルの奇行もあり、セガとしては彼を主役にしたゲームを作るという企画は無くなったのですが、マイケルサイドにはふらふらと色んなことを言ってことをうやむやにしていたのでした。

それに対し、マイケルは怒っていたのです。

自分の長年のヒーローから怒られて、汗は噴出し、頭がぐるぐるしながらも突発的に出てきたアイデアが、その時セガが作っていたスペースチャンネル5にマイケルをキャスティングするというものでした。マイケルに対して“実はセガはミュージカルのゲームを作っていて、エイリアンからダンスで世界を救うという内容なんだ。その中のとても重要な役割に登場してもらえないだろうか?”マイケルは大いに興味を示しました。当然、彼は主役を望んでいたのですが、今からゲームの主役のウララちゃんは変えられない旨を了解してもらい、その後ボイス取りなどマイケルに協力してもらわなくてはいけないことや、契約で問題にならないようにマイケルに契約の窓口の確認(なんと最終的にはマイケル本人にサインしてもらいました!)等、1時間から2時間、本人とミーティングをしました。

マイケルと話をしてホテルを出てすぐに、当時のセガの子会社スタジオのUGA代表の水口に電話をかけました。Space Michael
実は、以前にスペースチャンネル5にいろんな有名ダンサーや俳優を出す構想は、水口とよく話していました。
“スペースチャンネル5にマイケルを出してくれないか?面白いと思うんだけど”。


水口は、最初冗談だと思ったようですが事情を話すと、“OK、みんなに相談してみる”とのことでした。
結局現場も、水口がマイケル好きであったため、スペースマイケルなどのアイデアも出てきて、なんとかマイケルの出演が決定しました。

その後、いろいろすったもんだはあったものの、マイケル自身とても一生懸命取り組んでくれました。1つのセリフに対していくつものパターンを送ってくれたり、自ら私の携帯電話に出来具合を確認するほどでした。ゲーム内の声は、彼の本当の声です。スペースチャンネル5のスペースマイケル。おもしろいところと、かっこいいところと、水口やUGAのスタッフがうまくブレンドしたように思いますが、どうでしょうか。

「やりはじめないと、やる気は出ません。  脳の「側坐核」が活動するとやる気がでるのですが、  側坐核は、何かをやりはじめないと活動しないので。」 <『海馬』より>

imoutoidとの対話

STUDIO VOICEの2月号に収録できなかった部分を、ほぼ改変なしでお送りします。


▼伊藤_とりあえずimoutoidはネット界隈にたむろっている若年層の間ではカルトヒーローみたいな感じだと思うんだけど、 もともとファミコン宇宙人とか言っててネットラジオで活動してたのでさな それが中学生とかのころになるかと思うんだけど、 なんでそんなん始めたのかが気になる ▼imoutoid_ とりあえずネットラジオがやりたくてやり始めた けどなんか普通にやりたくなくって、誰かがやってるネットラジオにボイスチェンジした自分の声をのせるってことをやった それが当時のvip板のねとらじだったんだけど 当時のvip板のねとらじはリレー形式でいろんな人が特定のスレを共有して順番に繋いでいってて、無関係な放送はvipを名乗るなみたいなローカルルール があったようななかったような ▼伊藤_ 要は電波ジャックっつーか回線ジャックみたいなことかね 最初っから変なことしようとしてるのがimoutoidらしいったらそうだねー でも当時すごい手間だったでしょ、ポート開けるとかなんとか ▼伊藤_ いまでこそなんも考えずにブラウザ上でできるけど、 思い返したらすたこら面倒だった ▼imoutoid_ それを破ってそんなアホなことやったもんだから総叩きに遭った、はず が、その後に放送した割と人気だった女性DJが、僕が合間に流してたチップチューンモドキについて、「なんかファミコンみたいな曲」って面白そうに言及し たもんだから、リスナーが「なんてひどい言い方をするんだ!最高の蔑称だな!」って誤解して騒いでたの。 その女性DJが「いや、ほんとにファミコンなんだって」だとかなんだとか言ってるうちに、気になるからお前もう一回放送やれと。 で、その女性DJのリスナーとかが全てこっちに流れ込んだ状態で僕が放送を始めた。オーディオインターフェースで出力もう一回入力に入れたり変な事やったと思う。そんで色々な曲流したりしてて、「お前曲作れるならタンクマニア実況放送用のBGM作れよー」とか言われて快諾してるうちに、なんか厨房キャラなりに仲良くなってたwこの後、vipでねとらじスレッド住人公認でラジオやって、そんときはReaktorで作ったLooperパッチでボイパパフォーマンスやったりしてたかな。あとなんかスレに書いてた文字で即興で歌歌ったりそんなんやってた 基本的に調子乗りだからのせられたらなんか楽しい事やってやろーって気分になるみたい ▼伊藤_ かたやTOFUBEATSはまだくすぶってたわけで いまみたいな状態になるとは思ってなかっただろーね imoutoidはある意味順調じゃん▼imoutoid_ ファミコン宇宙人以前から本名名義で曲は自分のサイトで上げてたし。 本気が本名で息抜きがファミコンって使い分けだったハズだった。3,4年生ぐらいからかな? 当時は音楽やることに今よりこだわりが無くて、キャラクターつくって3DCGムービーつくったりして上げてた。BGMはオリジナルで。 それが5,6年生ぐらいからかいつやらかアート志向みたいになって、フォトショで作ったグラフィックと自分の曲上げるのが中心になってたり。本名名義で音楽やるのにちょっと飽きた時の片手間の冗談としてファミコン宇宙人、やら、imoutoidやらやってたので、vipにしてもニコ動にして も、ガス抜きの場ってイメージが強かった。 ファミコン宇宙人1年目ぐらいのときに、本名名義でラジオにデモ送って流してもらったりしてたから、そっちからの繋がりでもなんかできたっちゃあできたの かなって気もしないでもなかった。 今となってはimoutoidって名前がなんか知れちゃったからもうこっち使えば良いやってのと、昔あった自分の中のアート幻想みたいなものがちょっと崩 れかけて、考えもコロコロ変わるし、自己主張するよりピエロっぽいことやりたいなと思って、こっち中心になったかなって感じ。▼tomad_ VIPのネットラジオスレ(clubvip)ではじめはまだDJとかもできなくて、曲垂れ流して遊んでたりしたのが自分がネット出てきたとこだったかと。そこでなんか気持ち悪いことやってるなーと思ったのがimoutoidだった。はじめはファミコン宇宙人でコンピに出してて、そのあと半年ぐらい?潜伏して偶然見つけたんでまた依頼してみたらちゃんとしたの送ってきた。▼imoutoid_ tomadさんのimoutoid誘いのメールが見つかった Fancyballの時のメールはアドレス違うし前過ぎて見つかんない mixiだったっけ。てくのーちさんからのメールはみっかったけど普通にきちんとしたただの依頼だった。褒めてもらっててだいぶ気恥ずかしいから晒しはなしで ▼imdkm_ 実際のところいろんな人から聴くのは「imoutoidライヴ慣れしてる疑惑」だけども、本人そういう風に言われるのどう思う? ▼imoutoid_頼まれたからっていうのはホント大きいんですよ。それに応えることで自分を良く評価してくださる人とより繋がりを持てたらなって思った。 あとは、ラップトップでのライブへの技術的な部分での興味と、挑戦。 良い機会かなと思ってやってみたけど思いの他しんどかった! ▼imdkm_ 基本的に出会いを求めてみんなネットで活動してるわけだな ▼imoutoid_準備中も体中ビクビクして、凄い勇気はいる。だから外向きのコメントとか何も無くて、そんなきちんとしてる風に思われたら等身大にプレッシャーです。でも楽しかったよって言われたり、握手とかしてもらえると、あーライヴやってよかったなーって気になる。ネットそのものが出会いを求めてるかというとそうでもないかなー。最近になって出会いの切っ掛けにもなってきたけど、僕の場合はガキの頃に、合理的な理由も無くただ無邪気に「ホームページ作りたい!」て始めたのが惰性で続いてしまってるのが大きい。でも基本的には身内中心とか、ごく一部のネットの友達から見てもらってただけだったし、そこから世に出るとか言う事は全く考えてなかったから、同時に雑誌とかラジオに出してみたりしてた。今となって改めて考えると、ネットは自分の場をすぐ持つ事ができて、自分を主体として発信できるのが気楽だったのだと思う。特定の人が何かを求めている所に自分が向かうのは勇気もいるし、それに自分が一致するとも限らない。ネットなら基本的には興味のある人だけ見てくれれば良 い。というスタンスでやれる。僕の場合、現場とネットは並列で、どちらかがどちらかの上や先に立ったりしてないと思う。現場も良いしネットも良いよね。


たぶんimoutoidの略歴というか、活動をこうやって俯瞰できる資料はまったくなかったと思うんで、参考までに。じゃあね。
時刻: 3:24 0 コメント

こういうの好きだ

■高校生の頃、趣味で文芸同人誌の編集をした。僕は編集長だ。ただし、長といっても偉くはない。編集をしたのは僕一人だ。執筆を頼んだのは4人。皆頭が良さそうだったし、実際良かった。話も面白かったし、本も良く読んでいた。それで小説か、エッセイを頼んだのだ。皆、引き受けた。これで僕は編集が出来るぞと思ってウキウキした。レイアウトシートなども用意した。だが、すぐに問題が起こる。

■書かないのだ。誰も書かないのだ。一人もだよ。書くっていったのに。そんなのあるか。勿論、催促をする。いったい、いつになったら書くのか。すると皆、ハンでついたように同じ事を言うのだ。
「・・・書けない」(ため息をハァ、とつく)。

■だって打ち合わせをしたじゃないか。自信満々に内容を語ったじゃないか。ある一人などこうもいったはずだ。「もう、すべて頭の中にある。あとは書くだけさ」 でも、書かないのだ。一行も書かないのだ。なんだかんだと言い訳ばかりして結局一人も書かなかった。

■それで仲の良かったNに頼んだのだ。Nなら何とかしてくれると思ったのだ。Nは「小説などあまり読まないし、文章なども書いたことはないがまあ何とかしよう」と言い、2週間で50枚ほども書いてくれた。同人誌は、結果的にNの個人誌になったわけである。

■本が出来上がると執筆予定だった4人が現れて、Nの書いた文章をボロクソに批判した。曰く、Nの書いたものはある著名な小説家の文章に良く似ている。スタイルだけ借りた、志の無い駄作だと言うのである。

■僕は、こいつらはなんだろう、と思った。なんなんだよお前らは。

■4人の指摘は確かに当たってはいたのである。Nには書きたいモノなどなかったのだ。それはそうだ。だって僕に頼まれて仕方なく書いたのだから。だからある作家のスタイル-文体など-を借りて、内容はともかく、体裁だけはそれらしいものをと、形だけ、とにかく書いたわけである。それはまあ、僕にも分かった。

■しかしだからと言ってお前らはなんだ。

■きっとこういうことである。奴らは傑作を書こうとしたのである。 このオレ様が書くのであれば、その作品は大傑作以外にあり得ない、と鼻息も荒くだが平静を装うためコーヒーなどすすり書き始めたはずなのである。 一行書き、一枚書いてみる。 読み返す。陳腐である。おかしい。書き直す。読み返す。凡庸である。頭の中にあったときは世紀の大傑作だったものが、実際に書いてみるとコレは・・・という代物にしかならぬ。がっかりだ。こんなもの人目に晒すとバカにされてしまうかもしれない。何より自分が許せない。傷つくぞ、プライドが。悪夢である。

■で、その悪夢から逃れる素晴らしい方法があるのだ。書かなければいい。そして人の書いたぼろぼろの作品をバカにして心の平穏を取り戻すのだ。 バカ者だと思った。このばかめ。

■10年振りにNから連絡があった。小説家になれそうだというのである。ほんとかよ。夏くらいに文芸誌に短編がのるはずだ。なんと感動的な話だろう。

■最初Nには書きたいものは無かったし、書く技術もなかった。ソフトも、ハードも無かったということだ。だが必要に迫られて、ハードだけをどこかから借り受けて、ソフトの無い作品をでっちあげた。そして何作か書く内に、書きたいものが出来た。ソフトが出来たわけだ。だが、ハードはまだ借り物だ。まあでも兎に角書いてゆく。そして10年が経ち、いつの間にかハードも立派に自分製になっていた。自分の技術で、自分の言葉を書く、プロの物書きだ。おめでとう、N。
そう思って、今回、ある授業で、「コピペのみによるレポート」という課題を出してみた。ネットでアクセス可能な記事や論考の一部を切り貼りして組み合わせることで課題に答えるというものだったが、これがけっこう興味深い結果となった。

一応、評価基準はあらかじめ示しておいた。基本的に接続詞など最低限の文章のつなぎ以外はすべてコピペ文で構成すること、コピペ文にはすべて元 URLを付け検証可能とすること、1つの文章を長々とコピペするよりいろいろなものを組み合わせたものを高く評価すること、同じ内容ならより有力な元サイトからのコピペを高く評価すること、レポートの構成に関してはオリジナリティを評価することなどだが、ひょっとして皆同じ内容になってしまうのではという危惧に反して、内容がけっこうばらけただけでなく、レベルの差がかなりはっきり現れたのだ。コピペでちゃんとレポートが構成できる学生は、それなりに内容を理解しているということなんだろうし、他の人とちがうところから引用していれば、よりていねいにあちこちを探しまわったということがわかる。それにこれなら、コピペかどうかで気を病む必要もない(全部コピペなんだし)。

H-Yamaguchi.net: コピペの「作法」

現実に求められる能力は既にこっちになりつつある

(via y-u)

先般ノーベル賞受賞者たちが口を揃えて「もう日本の教育はダメだ」といったのは、授業時間が少ないとかいうレベルのことではない。
官民一体となって「子どもたちが学習内容そのものにではなく、学習した場合に得られる報酬の獲得に熱中している」という教育システムに対して、「それではバカしか生まれない」とおっしゃっていたのだと私は理解している。
現に、超難関校といわれる大学を出た若者と話していて、あまりにものを知らないので、びっくりすることがよくある。
教養がないというレベルにとどまらず、専門課程で学んだはずの知識さえおぼつかない。
どうして、そんなにものを知らないのかと訊ねると、破顔一笑して、「いやあ、大学では全然勉強しなかったですから」と誇らしげな様子をする。
どうして、勉強しなかったことをこれほど自慢するかというと、それでも超一流校の学位記を獲得した自分のふるまいが「クレバー」だと思っているからである。
だって、わずかな苦役で大きな報酬を手に入れたわけだからである。
「ぜんぜん勉強しないで東大出ちゃいました」というのは、キーボードをちゃかちゃか叩いただけで1分間で数億円稼いだとか、1000円でベンツを買ったとか、それに類する「スーパー・クレバーな商品取引」なのである。
消費者マインドに立てばそういうことになる。
「学校なんかぜんぜん行ってねっすよ」「教科書なんか開いたことない」「試験なんか、ぜんぶ一夜漬けで、あとカンニング」というような言葉が「ほとんど誇らしげ」に口にされるのは学校教育で競われているのが「何を学んだか」ではなく「いかに効率よく競争に勝つか」だと彼ら自身が信じているからである。

費用対効果教育 (内田樹の研究室)

ううう…。

(via hirata)

2010-09-24

(via gkojay)

hiromikubota:

「ゲーミフィケーション(gamification)」という言葉をなんとなくわかったつもりで、バズワード的に使う人が増えてきました。本当にそれを可能するゲームのメカニズム(game mechanics)を理解してますか?ゲーミフィケーションというすばらしいコンセプトが、自分ではゲームをやりもしない人に、ビジネス上の理由だけでバズワードとして使われてしまうのは残念です。

以前、ゲーミフィケーションについてのNOTEを書きました(「進化するゲーミフィケーション」

あるクリスマスの日の出来事です。



うちには6才の息子がいます。


我が家では、クリスマスイヴの夜、子供たちが寝静まった枕もとに

おもちゃをそっと置いて、翌日の朝、子供たちが目を覚ました時に、

おもちゃを見つけて、「わ~、サンタがきた~!」 と、喜び、そして、

そのおもちゃで遊ぶ、ということを年中行事にしていました。



その年もまた、同じように、子供たちの枕もとにおもちゃを置きました。

寝静まってから・・・。



次の朝、子供たちが起きた時に、「わ~、サンタがきた~!」 と

いつもと同じ光景が起こると思っていました。


そう信じていました・・・。



買ったおもちゃは、子供用のコンピューターでした。


そのコンピューターの電源を入れた時に、事件が起こりました。


電源をいくら入れてもつかないんです。


壊れていたんです。


お昼になるのを待って、買ったおもちゃ屋さんに電話を入れました。


責任者の方が出てこられて、こんな対応をされました。



「あー、故障ですか。それは申し訳ないですねー。

でもね、それは作ったメーカー側の責任なんです。

メーカーのお客様相談室に電話をしてください。

電話番号を言いますんでー」と。



少し「ん?」と思いながらも、おもちゃメーカーに、妻が電話をしたんです。



クリスマスの日に、おもちゃメーカーに電話してみるとわかりますが、

繋がらないんですよね。



1時間に4回くらいの割合で、夕方くらいまでかけたんです。


タイミングも悪かったとも思うんですが・・・。


けれども、その日はとうとう繋がらなかったんです。



お昼をすぎた頃、息子は泣き始めました。


新しいおもちゃで遊べない。。。


泣く気持ちもわかるんだけど、その泣く息子を見て、妻は

「あんた、ちょっとくらい我慢しなさいよ」 と・・・。


これはサンタさんからのプレゼントだから、僕も

「俺らが我慢しろよってのもおかしいだろ!」 と

取り乱す一幕もあったんですが・・・。


しびれをきらして、夕方4時を回ったころに、買ったおもちゃ屋さんに

もう一度、妻が電話をしました。


同じ人が出てきて、同じ対応をされました。



そこで、僕はちょっと腹が立つのをこらえて、電話を変わりました。


そしてこう言いました。


「クリスマスの日、お忙しいのに、故障の電話なんかして

申し訳ありません。もう修理は結構です。もういいんです。

電話を変わったのは、一つだけ、お伝えしたい事があったんです」



「はあ?」 と相手の人は、警戒心を強められました。


何、言うんだろうな、電話を変わってまで・・・と思ったでしょうね。



僕はかまわず、こう続けました。


「僕が、そちらのお店で買ったもの、それはなんだか解りますか?


僕が買ったもの、それは・・・


サンタクロースは、子供たちの心の中にいますよね。


子供たちは、イヴの夜、サンタに会おうと、夜更かしをするんです。


一時間経っても二時間経っても現れる様子はないんです。


そして、睡魔には勝てず、とうとう寝てしまいます。


次の朝には、枕もとにはおもちゃが置かれている。


そのおもちゃを見て、

「あー、サンタは本当にいたんだー」

そう思って、心踊らされて、遊ぶ。


その夢と子供たちの感動に、僕はお金を払ったんです。


僕がそちらで買ったもの、それはおもちゃでは無いんですよ。


その夢と感動です。


だから、クリスマスに、このおもちゃで遊べる事が、どれ程大切かという事を、

それだけは理解していただきたいと思うんです。


また、余裕がある時に修理の方をお願いします」


そう言いました。



そして電話を切ろうとした時です。



その人は、しばらく黙っていました。


その後こう言われました。


「お客様、時間をいただけますか?」


「お客様がお買いになった子供用のコンピューター。

超人気商品で、この店には在庫はございません」


それを聞いて、調べてくれたんだなぁと思って、胸が「ぐっ」となりました。


「でも支店を探してみれば、一つくらいあるかも知れません。

もしあれば、今日中に届けさせていただきたいと思います。

ちょっと時間をいただけますか?」



「えっ、本当ですか?本当にあれば子供は凄く喜びます。

お願いします」


僕は、そう言って電話を切りました。



電話を切ったあと僕は、「頼む。あってくれよ!」と期待に胸が

張り裂けんばかりでした。



そして、ピンポンが鳴るのを心待ちにして、待ちました。



しかし、夜の8時になっても、誰も来る気配はありません。


子供たちは、すっかり寝支度ができて、布団の中に入りました。


「間に合わなかったな。きっと無かったんだな。

今年のクリスマスはガッカリだったな。

でも、こんな時もあるよな・・・」


と諦めていた、その時です。9時頃でした。



「ピンポ~ン!」 とベルが鳴りました。



僕は「よし、来た!」っと、小さくガッツポーズをしながらも、

何食わぬ顔で子供たちを部屋に残し、玄関に向かいました。



ドアを開けたら、その人がコンピューターを抱えて立っていました。



しかも、サンタクロースの服を着て・・・。



僕は驚きました。



「えっ、サンタ?!」 と思わず口に出ました。



その人は言いました。



「サンタクロースです。お子さんをお呼び下さい」



僕は、漠然とスーツ姿の人を、想像していました。


スーツ姿で、代わりのコンピューターを持ってくる、そう思っていました。



でも、僕の前に立っていたのはサンタでした。


僕は興奮して、子供たちを呼びに行きました。


「早く降りておいで」


子供たちは、何事かと、どたどた階段を下りてきました。



そして、その人の姿を見た瞬間


「サンター!サンタだー!!」



驚きながらも、次の瞬間にはピョンピョン跳ねていました。



サンタはしゃがんで、子供たちの目線に合わせてこう言いました。



「ごめんね。サンタのおじさん忙しくてね。

壊れたおもちゃを持ってきてしまったんだ。

ごめんね。はい、これはちゃんと動くからね。

お利口にしていたら、来年もまた来るからね」



そう言って、頭を撫でてくれました。



僕は、子供たちを部屋に戻して、その人にお礼を言いました。



「ありがとうございました。本当に子供の夢をつないでくれました。

サンタにまでなっていただいて、本当にありがとうございました」



その人はこう言いました。
 

「私たちが売っている物はおもちゃではないんです。

夢と感動なんです。

忙しさにかまけて、大切な物を忘れていました。

それを教えてくれて、ありがとうございます」 と。



「とんでもないです。こちらこそ本当にありがとうございます。

こんなことをしていただけるなんて、これから僕は一生あなたの店からおもちゃを買います。

いい社員さんがいる会社ですね」

と僕はそう言いました。


その人は泣かれました。


僕も思わず泣いてしまいました。



その夜はとても不思議な気分で眠れませんでした。


眠らなくてもいい、そう思いました。


「なぜ、あの人はサンタの服できたんだろう?」


そう考えるとずーっと考えていました。


そして、いきついた言葉、それは「感動」でした